毒親の定義ってどこまでなのだろう。よく考える。
うちは、両親そろっており、仕事もきちんとしていた。
むしろ、子どもの頃は好景気の影響もあり、どちらかというと裕福よりの家庭だった。
ちゃんとした住む家もある。
祖父母も幼い頃は健在で、よく遊んでくれた。
身の回りのものにも不自由はしないし、両親は習い事にもお金を惜しまない。
3食きちんと栄養のあるものも食べられた。
親は、自分を愛しているとわかっている。
なのに、なぜこんなに親のことが嫌だったんだろう。
大人になり、「毒親」という言葉を知って、ずっとずっと考えていた。
世の中には、もっと不幸せな境遇の子ども時代を過ごした人がいるのも知った。
私は、ただ単にわがままなだけなんじゃないだろうか?
そう何度も自問自答した。
でも、たとえお金がなくても、自由に習い事をさせられなくても、多少の手抜きごはんであっても。
親が穏やかな心でいて、子どものあるがままを受け止めてあげることが一番なのではないかと思うようになった。
子どもが一番望むことは、自分が好きなもの、やりたいことを、親の顔色をうかがわずに表現できて、それを認めてもらうことなんじゃないかと思う。
私は、自分が何が好きでこれがしたいと思う前に、常に親から与えられていた。
自分自身ではなく親が一生懸命考え、いいと思うものを先回りして与えられていた。
嫌だと訴えても「これが絶対いいよ」と押し返される。
大体、いいと思って勧めてくる人に反対意見を言うのは、エネルギーがいるものなのだ。
ましてや、子どもは親に生殺与奪の権を握られているのだ。
最終的に親の意見を押し通される。
そんなことが日常ずっと続いたら、どんどん反対のことは言えなくなるのだ。
そのうち考えることもやめ、あきらめるようになったと思う。
うちの両親が毒親なのかどうかは断言できないが、私の心に影を落としたのは事実である。
うちの父親は、よく「俺の意見を言っているだけ」と言っていた。
私自身のことで私が何かを決めようとしたとき(例えば進路とか)、一旦自分の考えを発表するのである。
私が、「自分で決めたいと思ってるから」みたいなことを言うと、「俺が自分の意見を言うのもだめなのか?俺の考えを話しているだけだ」とよく言っていた。
これは、子育てをするときに気をつけているのだけど、危ない言葉だと思う。
子どもは親の影響を深く受ける。
「自分の意見を言っているだけ」といって親の考えを話すのは、「これが一番いいと思うよ!模範解答!これが正解!」と表明しているようなものだ。
そのくせ、「自分で決めればいい」などど寛容な親のフリをして自分は理解のある親です、みたいな顔をする。
だから、私は、子どもが何かを決めるときには、求められるまで親の考えは話さないようにしている。
子どもが、「こうしようと思うの」と言えば、「そう、いいんじゃない」という感想にとどめ、私の考えには触れないようにしている。
もちろん、助けを求められたら助けることもある。でも、なるべく邪魔はしないようにしたい。
自分で決めたことには責任が伴うもの。その責任を負うのは子ども自身。そういう経験を積み重ねていってほしいと思う。
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